笑ってる私だから価値がある、というまちがった思い込み
え?!そんな思い込みある人いるんですか??誰ですか??
(少し前までの)私だよ‼(今でもたまに出てくるよ‼)
っていうのり突っ込みから今日はお届けします。
このネタに気付いた時ね
ボロボロ泣きました。自分でもびっくり。
そんなことを思ってたとも知らなかったし
こんな思い込みがあることを知ってこんなに泣けるなんて!!ってことにびっくり、たまげた。
フタが開いた瞬間、涙がとまらなかったのは
気付いてないところで
とっても苦しかったからと思います。
それと同時に知れたことの安堵、、、かな?
「笑ってる私に価値がある」
「笑ってない私には価値がない」
いつからそんな思い込みしだしたのか分からないけど
ふと思い出した記憶は小学3年か4年のころ。
学校の家庭訪問で
担任と両親と私とで話してたときです。
たしか「学校では特に問題ないです
友だちとの関係も良好です」みたいな話でした。
すでに、女子特有のグループとか嫌な感じはあったのでうまいことやっていくのに頑張ってました。(ぶつからないように、ケンカしないように、人に合わせてた。)
それなのに、良好??
全然分かってないな、この先生。
あ、でも親に安心させるためにいい風に言うてんのかも?と担任の話にとりあえず頷いてました。
親も家の様子話したりしたのち
担任が発した言葉。
「ひとみちゃんは人生薔薇色やもんね」
正直、ええええええぇぇぇぇ?!って思いました。
そんなことないわーせんせー!!って言いたかった。
でも、言えなかった。
思ったことを言ってはいけないと思ってたのと、
この先生、めっちゃ苦手やったからです。(何か無機質な感じ)
笑っても目が笑ってないっていうか
愛が感じられないというか。
途中で産休に入らはったときはホッとしたぐらい。
そんな先生の
「あなたは人生薔薇色」発言に違和感を覚えたのですが
その発言を聞いた両親の顔がホッと安心したようにみえたんです。
そんときに思ったんですね。
今まで通り私が薔薇色人生送ってるようにみせたら
両親は安心できるのだ!と。
とりあえずその場はアホの子みたいな顔して
うん、薔薇色~❤つってその場を流し(人から見たら薔薇色にみえるわなw)
人生薔薇色に見せるためには嫌な時も辛い時も笑う・笑顔でいる
の、認識ができあがりました。
この時素直な「私は人生薔薇色」設定にしなかったのが悔やまれます(笑)
もともと、面白いこと好きで
良く笑う子で
笑顔を褒めてもらうことが良くありました。
純粋に「笑顔もいいんだな」って受け取っておけばよかった話なんですが
「笑顔がかわいいね」とか
「笑ってるとかわいいね」って言われると
「笑ってないとかわいくないんだ」と誤変換してました。
一時期母親に怒られるたびに「お前はかわいくない(顔面偏差値低いの意味)」って言われつづけた記憶しかなくて
一番大事な根っこが育ってないもんだから
人様の言葉を素直に受け取れなかったり
笑顔「が」とか笑ってる「と」とか限定する言葉を過剰に意識してたんです。
それで出来上がった思い込みが
「笑ってる私のみ、かわいくて価値がある」
こういう思い込みが出来上がると
どんどんその思い込みに合った現象を見つけるし、取り入れるし、誤変換もして
思い込みが雪だるま方式に大きくなるんですよね。
もうね、後半は「ひとみんの笑顔みるだけで元気になるわー」も「私は笑ってないと価値がない!」って変換されるぐらい(笑)そういう変換になってるのに気付いたのも最近なんですけど。
いや、意識上はそんなん言うてもらってありがとーやし、嬉しいし
自分の笑顔をさらに大切にしよ!やし
自信もつくわ!って思ってたんですよ?
しかし、しかし、
気付いてないところでは
「あーやっぱり笑ってる私にしか価値がないんだー」やったんですよね。
改めて書いたらうけるんですけどね。ほんま(笑)
でも、本人真剣やから。無意識に真剣やから。
もうね、
笑ってる私にも
笑ってない私にも
どんな私にも価値があるのだ~そーなのだーに変更中です。
そして、ついでに
ほんとうに、人生薔薇色でもいいのだ~にする。
偽薔薇色(笑ってることが薔薇色だ)は卒業なのだ~
笑うも泣くも怒るも楽しむも悲しむも
全部あって薔薇色なのだ~
(じゃもうすでに薔薇色だなw)
笑顔じゃないと価値がないとかあるとか
無しにしても
単純に
笑ってる顔
笑ってる声
笑ってる空間は
大好きです。
自他共に。
うん、いい顔
生ぬるいの好きくない。やるときは全身ケガしてでもガツンとやりたい
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