ひとみんの毎日は甘辛ミックス@京都

夫婦、親子、家族ってスウィートでスパイシー。どんな自分でも大丈夫。自分流儀

その子の持つ「問題」ではなく「個性」なのだ

 昨日のこの記事の続き

hitominmin.hateblo.jp

 

 

早速、夫と話して

できる限り次男を見てもらうことに。

 

 

夫と今までも

発達障害とは」のこと

それらを踏まえた私の思い、長男との関わりを散々話してきたけども

 

 

まぁー、ことごとく伝わってないというか

理解されてないというか

認識にズレが生じる。

(話で伝わらないなら本を渡してみようと思う。)

 

 

 

通級クラス(通称タンポポ教室⇦可愛い名前)に通ってても

まだ治らんもんなん?って言われた時に

 

すんごい違和感感じた。

 

 

「治す」ために行ってるんじゃないし。

そもそも「治す」ってなんやねん。

 

 

病気じゃねぇし。

 

 

子どもに適した関わり

環境の配慮は大切やけど

 

 

それより大人の「誤解のない」「ちゃんとした」認識って大事やなって思う。

 

 

我が子を「普通」にさせたいわけでも

「出来ない」ことを努力で「出来るように」させるために通わせてるわけでもないんだよ。

 

 

大人から見た時

一般的に生活していく上で

「問題」だ!!と思ってることも

 

実は「ただの個性」で

「問題」ではないんだという大人の前提を変えることがまず

何よりも大事なんだよなぁ。

 

 

 

 

それでも、本人が困っていたり

周りにも被害を与えるようなら

その子にあった環境・対応を整えてあげて

本人が自分らしく自立して生きていけるような関わり、というものを大人がするべきことなのではないかと。

 

 

「矯正」の意識で関わるぐらいなら

放っておいたほうがマシとさえ思う。

(完全に自分にも言っている)

 

今自分がやっていることも

これからやろうとしていることも

学校の先生も

専任の先生も

 

正直どれが正解なのかわからないけども

(今の時点での専門的見解の正解はあるけどね)

 

 

子どもの様子みながら

子どもと話しながら

やっていこうと思います。

 

 

 

 

ただ一つ言えることは、

 

自分の子育てが悪いわけでも

子どもがダメなわけでもないと

 

客観的な視点から見てちゃんと思えるようになったということ。(頭ではわかってるつもりやったけど、我が子となるとね)

 

 

そう思えるようになったら、子どもの個性なんだと受け入れられるから

「なんとかしなくちゃ」とか「不安」や「罪悪感」からくる「イライラ」が減りました。

 

 

親子共にそれは良かったこと。

 

 

ちなみに、本人が集中できる環境は整えるけども

だからと言って「宿題」を無理強いはするつもりありません。

 

環境が整った上でやるかやらないかは本人に任せようかと。

 

 

そばにいて声はかけるけど

隣で私は私のお勉強をしていようと思います。

 

 

 

 
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